テストで高得点を取る練習

もう一つ動機付け、モチベーションに関係したお話しです。

The塾は基本的に生徒の自学自習の手助けをする方針です。

勉強がわかる、つまり数学がわかる、英語がわかるというようにするためわからない単元までさかのぼり現在学校で学習している単元まで追いつくことで自分で勉強をすることができるようにするという方針でした。

しかし、今期より’テストで高得点を取る練習’を別に授業時間に追加することにしました。

塾での講義などで終了した単元はわかるようになっているはずなのですが、実際にテストを受けてみると点数がとれない。このため自分はやっても勉強ができるようにならない、やってもだめで自己肯定感があがならない、この連鎖でモチベーションが上がらない生徒が多いためです。

テストで点数を取るということは、テストで出題されている単元が理解できていることと正確には一対一ではありません。制限時間内に与えられている課題、問題の正解を書く、ということがテストで点数を取るということです。つまり、制限時間内に(この条件はすごい大切)問題の答えを書いてくるとテストの点数が取れる、ということです。

おまえは一体こんな当たり前のことをなに顔を赤くして力説しているんだと思われるヒトいるかもしれません。全くその通りでオレも恥ずかしいんだけどもうちょっとお付き合いくだされい。

1990年代にすでにテストで点数をとるためには問題を解く練習をするほうが理屈を解説する(教科書を読む等)ことや、問題の解き方を解説された講義を聞くより効率がいいことが実験で分かっています。

例えば一次関数のグラフの式を求める問題はよくテストに出題されますが、先ほどの実験では問題を解いて教科書を読み返すグループより、2点を通る1次関数のグラフを導き出す問題、傾きと通る点が問題と問題を分類しそれぞれ集中して解いたグループの方がテストの獲得点数が高くなると報告しています。

中学生の塾生の当面の目標は高校入試をパスすることですから福岡県の入試問題が早く正確に解けるように練習をするのもありかというところです。学問の本質からいうと教科の理解という点とはまったく関係のない話で忸怩たる思い(自分の言動を深く反省し、自身の未熟さや情けなさ、みっともない気持。広辞苑)もあるのですが背に腹は代えられません。

これまで塾では学習した単元が’わかる’ようになったら、自分で学校からもらっている問題集などでこういった練習をするようにやり方とアドバイスをしていたのですが、なかなか要領をつかむのが難しいようで、このため今期より授業時間を追加しテストで点数を取る練習にあてることにしました。

先ほど触れましたように学問的なところとは関係ないテクニック的なことなのでちょっと残念ではあるのですが、勉強をした成果の一部はテストの結果で反映されるので生徒の達成感、満足感を上げるという点からは仕方がないと割り切ることにしました。

これは中学生についての変更点で高校生についてはこれまでと変わりありません。

と言いますのが、大学受験の問題は高校受験と比較にならず覚えるべき問題のパターンが多いので、理解が終わったら次に問題を解く練習、つまりパターンを覚えてもらう練習も塾の方でこれまでも時間を取っていました。

かなり要領のいい人間でない限り例えばチャートの問題を解いていっただけで自力で問題のバターンが頭の中で整理されるとはならないことが分かっていたからです。

ベクトル方程式の問題を解くとき、起点をそろえるパターン、位置ベクトルを使うパターン、座標として解くパターンと整理し意識して練習するということです。これをしないで問題をランダムに解く練習だけしているといつまっでたっても試験場で‘ひらめき’や‘解法を思いついて’解くことになり、解法をパターンとして覚えていて試験場で吐き出すトレーニングをしている人間と競争すると負けてしまいます。

しかし、高校生に関しても今期より問題のパターンを練習する時間を多くとってもらうことにしました。忸怩たる思いですね(笑)。

解法のパターンを分類して覚えて練習して問題を解くという方法はテストに制限時間があり絶対に正解が存在するという条件下では最強でこれ以上効率のいい方法はありません。

しかしながら、学問としての数学、理科学(物理・化学・生物・地学)、社会科学、英語には答えが分かっていない、それどころか答えが本当に存在するのかわからない問題がたくさんあります。テストで高得点を取る練習はそういった問題の解決する延長にはなりません。そのあたりが忸怩たる思いなのです。

もちろんテストで良い点数を取ることは悪いことではありませんが、皆さんには試験なんてとっととパスしてしまってそういう世界をいつか覗いてもらいたいものだと思います。